地域紹介
城川町発足
- 1959年(昭和34年)4月1日 – 町制施行、改称して城川町発足。
- 1968年(昭和43年)3月 – 町民の融和を促進するため第一回「城川町オリンピック」開催。
- 1974年(昭和49年)10月 – NHK番組「新日本紀行」で「山里のオリンピック」が全国放映される。
- 1977年(昭和52年)11月 – 役場が下相(現在地)に移転決定。
- 1978年(昭和53年)12月 – 役場新築落成。
- 1983年(昭和58年)1月 – 「わがむらは美しく」をテーマに花いっぱい運動開始。
- 2004年(平成16年) 4月1日 – 明浜町・宇和町・野村町・三瓶町と対等合併、西予市となり、自治体としての城川町の歴史を閉じる。
城川町は、四国愛媛県南部の山間に位置し、高知県に山で接している。国道197号が肱川の支流の一つである黒瀬川に沿って南北に町を縦貫しており、これが町外と結ぶ幹線道路となっている。
肱川の上流域にあたり、またそれぞれの支流に沿って集落が展開している。ほとんどは急傾斜地であるが中腹にかけては棚田や畑等として利用されている。
国選択無形民族文化財「窪野の八つ鹿踊り」
例年4月17日、三滝神社の大祭の日に社前に奉納されてきたものである。哀調を帯びた旋律とそれをきざむ小さな鼓太この音が谷間にこだまし、素朴だが優雅なおもむきが深い。内容は大きくは道行き~庭入り~長唄~音頭の舞~むすびと流れて小一時間の舞となる。一匹の雌鹿をめぐっての雄鹿の争いがくり拡げられる。
この踊りの起こりは、仙台伊達正宗の長子秀宗の宇和島入封がきっかけとなり、この地域に伝わったと言うのが通説であるが、窪野地区ではそれより早い時期とする説もある。後にこの地の庄屋の矢野惣左衛門が、友を連れて仙台までおもむき、本場の踊りの師匠を連れ帰り、鹿笛、鹿唄、長唄、音頭唄、振りつけなど約半年かけて手ほどきを受け、現在の形になったと言い伝えられる。串屋地区の住民が中心となり保存伝承につとめているが、過疎と少子高齢化により、伝承保存に困難が生じている。
八つ鹿の踊りは国の文化財(城川かるた)(西予市教育員会編2008『西予市の文化財』西予市教育委員会より引用)
よ み:くぼののやつしかおどり
所在地:愛媛県西予市城川町窪野
保護団体:窪野八つ鹿踊り保存会
指定年月日:昭和43年3月8日/県指定替え:昭和52年1月11日
選択年月日:昭和49年12月4日
三瀧神社
大山祇神(おほやまつみのかみ)を祀る。
三村社(蔵王神社、的山神社、三島神社)を、明治42年2月27日他の村内末社三十一社をも合祀し、三瀧神社と改称奉斎した。
実盛送り
どろんこ祭り(愛媛県指定文化財)
奥伊予の奇祭とも呼ばれる。もともとは「御田植祭り」(おんだまつり)という田植え行事であり、農民たちが田植えが終わった喜びを神に感謝し、五穀豊穣・無病息災を祈る素朴でユーモラスな農村の行事である。もともとハプニングを伴ったイベント的な要素を持つ神事にアレンジを加え、ふだんは静かな山里に数千人が集まる一大イベントとなっている。
茶堂
龍馬脱藩の道
ギャラリーしろかわの「かまぼこ板」の絵から発する文化
郷土料理
地元で採れた季節の食材を使ったばら寿司(ちらし寿司)は地域に各家庭に受け継がれています。その他にも様々な郷土料理があります。